A Tale of Two Islands

東京大学法学部から英国のシェフィールド大学へ一年間交換留学。現地での思いを綴ります。関心は国際政治と東アジア。

目的と目標

折角一年間かけて行くのだから、実り多き留学としたいものです。そこで、出発前の初々しい志を、いまいちど言葉にしておこうと思います。

 

留学の目的?

交換留学の申請や、奨学金(トビタテ!留学)の手続きの中で、何度もこの「留学の目的」を言語化する機会はありましたが、そのどれもが、正直なところ、自分の心の底からの目的にドンピシャだったわけではありません。もちろんそれぞれの申請の中で書いたことに偽りはないし、そこで書いた目的・目標を念頭におきつつ留学することに変わりはないのですが(そして交換留学や奨学金の機会を与えていただいたことに感謝していることは言うまでもありません)、どこか心のなかで、申請の過程で言語化した高尚な目的を上回っている「何か」が、本当の目的としてあるのになあ、という後ろめたさがあったことは否定できません。

あこがれ

いろいろと考えたけれど、結局のところ、僕を留学に駆り立てたものは、ぼんやりとした「あこがれ」だったのではないかなと思います。

それはきっと、西洋への「あこがれ」(東洋への関心はAFPLAでの活動や旅行などである程度満たされていた)というベタベタにベタなものから、一人暮らしへのあこがれ、海外の大学での勉強へのあこがれ、そしてなにより「より広い世界を見たい」というある種の野心からくる衝動的な何かが、抽象的に交じり合って、ゆるりゆるりと僕の背中を押してくれていたのだと思います。

そしてこのゆるりゆるりとした抽象的なあこがれは、高校生の頃くらいから少しづつ始まっいてて(最も古い「あこがれ」の記憶は、小学校の頃見た『不機嫌なジーン』というドラマで竹内結子がロンドンのタクシーに乗っているシーンを見た時かも)、そして大学二年には留学の準備に何らの迷いもないくらいには積極的なものに結実していた。

 

しかしここで、留学の目的が全てこのような積極的なところから来たわけではないのだということも述べなければなりません。

四年で卒業したくない、という思いもまた、高尚ではないけれども確実に重要な要素でした。早生まれの現役で大学に入学し、卒業する頃に漸く22歳を迎え、そしてすぐに社会人となってしまう慌ただしさに辟易としてしまったこと。そして卒業を遅らせることに対して経済的にも精神的にも何らの不満も言及しなかった家族の後押しもあり、消極的な意味でも、のんびりと一年間過ごすチャンスは今しかないと感じるようになった。このことは、留学を決める上で大きな要因であったことに違いはありません。

 

留学を通じて得たいこと

あこがれや大学生活の延長などといったものが言語化できない留学の目的なのだとしたら、留学を通じて得たい目標のようなものは大して必要がないようですが、それでもやはり折角一年間かけて、奨学金も戴いて行くのだから、ある程度目標を明確にしてから行きたいと思います。そこで、留学を通じて行いたいこと、成し遂げたいことをさしあたり三点ほど以下に記します。

 

・現地の友人を持つ

 10年後、英国を訪れた際にまた会えるような友人を作りたい。大学に入ってから、大変に友人知人に恵まれました。英国でも良い人間関係が築けますように。烏滸がましくも望むらくは、現地の教授などの社会人の方とも交友を広げたいです。

 

・日本での環境や肩書から自律する

 優秀な友人、心優しい友人、暖かい家族が住まう、豊かな人的資本・社会資本に富んだ東京という地において、日本で最も恵まれた学問環境に学び、しかもそれがブランドという形で独り歩きしてしまう、そんな環境で大学生活を生きた自分にとって、今の僕自身から人の助け、社会の支え、学歴の独り歩きを全て剥ぎ取ったら、一体何が残るのだろう。何も残らないのではないか、そんな不安があります。留学を経て、自信を持って上記のような外的環境から自律してなお自らが誇れるところを紹介できるようになりたいです。

 

・精神的に強くなる

 高校の頃から僕を知っている人は笑うかもしれません。思い返せば、幾度か精神的に自ら大人になったな、と思うタイミングがあります。きっとこの留学の中で、そのようなタイミングが何度かあることかと思いますが、その時は思い切り悩み、向上心を持ちつつも、なお他者に対して寛容な人間になりたいと思います。

*精神性の向上とは関係がないのですが、一人暮らしスキルもあげたいです。自炊など。

 

本来は、「イギリス外交において議会が果たした役割について学ぶ」などを目標に書くことがお手本なのかもしれませんがそれらは奨学金での報告書に譲るとして、等身大の留学への期待を書くことにも意味があるでしょう。

思い出したら書き加えるかもしれません。また、出発前に予期していなかったような発見、成果もきっとあるはずです。そしてそういった予期せず得る何かのほうが結果としてより有意義だったということは往々にしてあるものです。しかしそれらの発見は後日の報告に譲るとしましょう。